Masuk目覚めると、随分空気が冷たいことに気が付き驚いた。
「え?」
重たい瞼を無理矢理こじ開けながら、シーツを手繰り寄せ周囲を見渡す。視界に映り込んだものはゆらゆらとはためくカーテンで。そこで初めて窓が開いていることに気が付き飛び起きる。
「なん……で……?」
開けっぱなしにしたつもりはないのに、鍵が外れてしまっている状態。寝ぼけて鍵を外したのかと記憶を辿るが、残念ながら思い当たることがない。
ただ、この小さな疑問は直ぐに解消されることになる。
「窓? あれは、換気のために開けたのよ」
階下に降りると朝食の支度をしていた妻が笑いながらそう答える。
「空気が籠もっていて気持ち悪かったから」
彼女が起きたときに感じたらしい空気の淀み。それを解消するために窓を開け、閉め忘れたまま階下に降りた。答えなんて本当に単純で、理由が分かればなるほどと納得が出来る。
「今日は早く帰れるのか?」
冷蔵庫を開け、牛乳のボトルを取り出しながらそう尋ねると、彼女は暫し考えてからこう答える。
「患者さんが少なければ早く帰れると思う」
「ふぅん」
この会話はいつも通りのもので、予測した通りの答えが返ってきたことは少し寂しい。
「それじゃあ、今日の夕飯は俺が用意するよ」
この調子だと、帰宅の時間は自分の方が早いのだろう。そう判断した故に告げると、彼女は楽しそうに笑いながらこう返した。
「それじゃあ、お願いしようかしら?」
クスクスクス。此方の気持ちを気にすること無く、彼女が愉しそうに肩を揺らす。それもそのはずで、本来なら料理が得意ではない夫が夕飯を用意すると言っているのだ。だからこそ、からかうようにこう付け加えたのだろう。「ちゃんと食べられるものを作って頂戴ね」、と。
「期待を裏切らないように努力はするよ」
最低限の味の保証は出来るとしても、見た目の美しさまでは約束できない。そう思いながらグラスに牛乳を注ぐと、用の無くなったボトルを冷蔵庫へ戻しながら肩を竦めて見せる。
「昨日の夕飯の残りもあるから問題無いはずよ?」
明らかにからかいを含んだ口調。全く期待していないという訳では無いのだろうが、それでも違った意味で期待をしている事だけは何となくわかる。実際、彼女と結婚してから少しずつ覚えた料理は、今では無難に食べられるものくらいにはなっている。それでも失敗することも多く、その度に自らの不器用さが不甲斐ないと感じてしまう。
そんな時彼女は決まってこう言うのだ。
「失敗することも経験のうちだから」
そうしてその不器用な完成品を嬉しそうに口に運んでくれる。申し訳ない気持ちは確かにある。もしかしたら、今日も失敗するのかも知れない。ただ、こんな風に失敗を笑い合えるのは心地好いとは感じてしまう。
「仕事が終わったら店に寄ってから帰宅するよ」
先程注いだ液体を一気に飲み干し、使用済みの食器はシンクへ。更に盛り付けられた朝食は二人分で、それらをダイニングのテーブルへ移動してから指示を待つ。キッチンから声が掛かり戻ると、サラダを用意していた妻がパンとコーヒーを持って行ってと指示を出す。それらを運び席に着いたところで、遅れて彼女が姿を現す。手には先程盛り付けたばかりのサラダが二つ。
「これを食べたら直ぐに出るの?」
向かいの席に彼女が腰を下ろした所で、一瞬だけ止まる会話。その間始まるのは、食事の前に捧げる感謝の祈りで、締めの一言が終われば再び止まっていた時間が動き出す。
「食器を片付けたら出ないと、かな?」
「そう」
外からは賑やかな鳥の声と、元気の良い子どもの声。少しずつ昼に向けて進む時間に沿うように、町の人達が動き出す。
「遅くなるようだったら連絡だけはしてくれ」
綺麗に焼かれた目玉焼きをトーストに乗せながらそう言うと、彼女は困ったように眉を下げながらサラダを口に運ぶ。
「仕事が忙しくなかったらメッセージくらいは入れるわ」
目玉焼きの上にはこんがりと焼いたベーコンを。ケチャップをたっぷり掛けて半分から降り畳めば即席のサンドウィッチが完成する。
「無理だけはしないようにな」
思いっきり齧り付けば気持ちの良い音を立ててパンの一部が口の中へと消えていく。
「なるべく早く帰れるように調整はしてみる」
「ああ」
次々に皿の上から消えていく食べ物たち。その間にも他愛ない会話は続いていく。やがて、トーストの最後のひとかけらが完全に口の中へ消えると、すっかり冷めてしまったコーヒーで流し込み席を立った。
「言った通り、これを片付けたらもう出るから」
妻との楽しい時間は一旦終わり。それを名残惜しいと感じながらも、いい加減仕事に行かなければ遅刻をしてしまう。急いで身支度を済ませ鍵を掴むと、慌ただしく向かう玄関先。食事を終えたばかりの妻がその後を追い、行ってらっしゃいとハグをしてくれる。
「行ってきます」
彼女の柔らかい身体を抱き締めて、軽く頬にキスをしたら後は帰宅まで頑張るのみ。玄関の扉を開けると、随分と冷たい風が頬を撫でる。寒暖差に思わず小さなくしゃみが出たが、そんなことを構っている余裕はない。もう一度振り返り手を振ると、ガレージへ向かいシャッターを開けた。
+++望んで入った職場ではあるが、その日のコンディションによって楽しいと思える感覚は変わってくるものだ。
「ふわぁぁあ……」
時刻は既に十二時を回った頃。
覚えた空腹感に腹をさすりながら涙を拭うと、同僚が呆れた顔をしながら緩く首を振ってみせる。
「お疲れなのか?」
「んー……」
別にそれほど疲れているという訳では無い。ただ、何となく強い眠気は感じていた。
「寒暖差なんかね?」
季節が緩やかに変わるように、気温も少しずつ下がっていくものだと思っていた。しかし、今朝感じた異様な肌寒さは、この時間になっても変わることが無い。
「異常気象、ってやつなんかねぇ?」
着けっぱなしになったままの液晶テレビから聞こえてくるのは、気象状況を示すものだ。
「珍しい事に、南の方では雪が降ってるんだそうだ」
「へぇ」
まだこの地域での初雪の観測は報告されていなかったはずだ。それなのに、随分と南の方で初雪が観測されたと報道されているのだから、一体どういうことなのだと不思議には思う。
「幾らこの国が広いからって、こんなこと起こるもんか? フェイクニュースとかだったりしてな」
「さぁな? どうだろう。残念ながら、俺には分からないよ」
目覚めると、随分空気が冷たいことに気が付き驚いた。「え?」 重たい瞼を無理矢理こじ開けながら、シーツを手繰り寄せ周囲を見渡す。視界に映り込んだものはゆらゆらとはためくカーテンで。そこで初めて窓が開いていることに気が付き飛び起きる。「なん……で……?」 開けっぱなしにしたつもりはないのに、鍵が外れてしまっている状態。寝ぼけて鍵を外したのかと記憶を辿るが、残念ながら思い当たることがない。 ただ、この小さな疑問は直ぐに解消されることになる。「窓? あれは、換気のために開けたのよ」 階下に降りると朝食の支度をしていた妻が笑いながらそう答える。「空気が籠もっていて気持ち悪かったから」 彼女が起きたときに感じたらしい空気の淀み。それを解消するために窓を開け、閉め忘れたまま階下に降りた。答えなんて本当に単純で、理由が分かればなるほどと納得が出来る。「今日は早く帰れるのか?」 冷蔵庫を開け、牛乳のボトルを取り出しながらそう尋ねると、彼女は暫し考えてからこう答える。「患者さんが少なければ早く帰れると思う」「ふぅん」 この会話はいつも通りのもので、予測した通りの答えが返ってきたことは少し寂しい。「それじゃあ、今日の夕飯は俺が用意するよ」 この調子だと、帰宅の時間は自分の方が早いのだろう。そう判断した故に告げると、彼女は楽しそうに笑いながらこう返した。「それじゃあ、お願いしようかしら?」 クスクスクス。此方の気持ちを気にすること無く、彼女が愉しそうに肩を揺らす。それもそのはずで、本来なら料理が得意ではない夫が夕飯を用意すると言っているのだ。だからこそ、からかうようにこう付け加えたのだろう。「ちゃんと食べられるものを作って頂戴ね」、と。「期待を裏切らないように努力はするよ」 最低限の味の保証は出来るとしても、見た目の美しさまでは約束できない。そう思いながらグラスに牛乳を注ぐと、用の無くなったボトルを冷蔵庫へ戻しながら肩を竦めて見せる。「昨日の夕飯の残りもあるから問題無いはずよ?」 明らかにからかいを含んだ口調。全く期待していないという訳では無いのだろうが、それでも違った意味で期待をしている事だけは何となくわかる。実際、彼女と結婚してから少しずつ覚えた料理は、今では無難に食べられるものくらいにはなっている。それでも失敗することも多く、その度に自
「喜んで」 彼女の手から抜き取ったプラチナのチェーン。留め金を外し首元から回すと、髪の毛に引っかからないよう注意しながら指を動かし着けてあげる。細かい金属の輪が連なるアクセサリーが彼女の肌に触れた瞬間、少しだけ湧き上がるのは支配欲と愛おしさである。自らが贈った物で着飾る彼女。それを見ていると、この人が自分の伴侶なのだという事が分かって嬉しくなっていく。 愛おしげに項に口づけを落とし頬をすり寄せると、「擽ったい」と笑いながら彼女が小さく藻掻いた。ただそれは完全な拒絶ではなく、じゃれ合いの延長のようなものだ。「食事にしましょう」 胸元で光るシトリンの輝きは、揺れるキャンドルの炎を受けてプリズムを作り出す。たった一つの小さな宝石ではあるがその美しさは絶大で、彼女の魅力をより一層引き立てる事が出来たような気がして気持ちが満たされ嬉しい。「そうしようか、エイヴァ」 もう一度。今度は柔らかな頬へと口づけを落とすと、向かいの席に戻り手を伸ばすカトラリー。「ねぇ、今日は……」 食器の重なる小さな音と、鈴を転がすように耳心地の良い彼女の声。落ち着いた空間に漂う暖かな雰囲気が堪らず、彼女に釣られて自然に笑顔に変わっていく穏やかな空気。「私の方はね……」 会話は主に彼女の言葉が多めで。自分は聞き役に徹するのがいつものことだが、聞かれれば素直に答え、終わると此方から質問を返す。そうやって続く言葉のキャッチボールも、腹が満たされてくると段々言葉数は少なくなっていくらしい。「それでね……」 アルコールが回ったせいでほんのりと赤く染まる頬。潤んだ瞳は熱を帯び、舌足らずな口調が実に甘い。さらに揺らめく炎の作る演出のせいで、普段の照明とはことなる雰囲気が空気を彩る。一年に一度の特別な日だからか、どうやら彼女もいつも以上に隙だらけだ。「そろそろ片付けようか?」 このままでは彼女の意識が落ちるのも時間の問題だろう。「ここは俺が片付けるから」 だから君は先に休んで。そう促すと、彼女はグラスの中に残っていた紅い液体を一気に飲み干し満足そうに微笑む。「分かった。それじゃあ、宜しくね」 就寝の準備をするべく歩き出した彼女の後ろ姿。珍しく速いペースで飲んでいたらしく、千鳥足で見ていて不安になる。先に彼女を寝室に連れて行こうかと思ったが、大丈夫だと止められ大人しく片付けに徹する
「未だ準備が出来ていないのよね」 花束を邪魔にならない場所へと移動させてから、彼女は再びキッチンへの奥へと引っ込んでしまう。 彼女の作業が終わるまでは、完全に手持ち無沙汰の状態で。それならばと一度寝室へ向かい、部屋着に着替えて吐く一息。身体への締め付けが減ったお陰か、強張っていた身体から自然と力が抜け始めた。 階下に降りると賑やかな彼女の悲鳴が響く。せっかちな相方はいつもこうやって、何かしらのハプニングを起こしてくれるのだが、今日は一体何をやらかしたのだろうか。それを思うと無意識に出る笑い。「よし!」 整えられた豪華な食卓は、二人分にしては量が随分と多いものだった。「こんなに沢山は食べられないんじゃないか?」 丁度メインの肉料理をテーブルの上に置いたところで彼女の傍に移動すると、軽く頬に口付けた後で背後から彼女を抱き締める。「何を言ってるのよ」 それを嫌がること無く自らの身体を素直に預けると、彼女は腕の中で楽しそうにクスクスと笑う。「余ったら明日も食べれば良いだけじゃない」「確かに」 パーティーの残り物が翌日の朝食になることなんて、結構ある話だろう。今はこれ程の量だと感じて居ても、この先家族が増えてくると、もしかしたら全然足りないと感じるようになるのかも知れない。「それじゃあ、始めましょうか」 自らの記念日を祝うことの宣言を、彼女自身が告げるのも何だか妙な話ではあるが、彼女は全く気にしていない様子。促されるまま席に着くと、向かいの席に腰を下ろす前に彼女がすっと、白い手を差し伸べてきた。「どうした?」 ダンスでもしたいのか? だ、なんて。冗談交じりにそう尋ねれば、「違うわよ!」と彼女は頬を膨らませて見せる。「ライター」「え?」「ライターを貸して」 そう言って指を指した先にあるものは、雰囲気作りにセッティングされていたキャンドルだ。「火を点けたいの」「ああ」 残念ながら、ダンスの誘いでは無かったことに態とらしく肩を落として見せるものの、彼女は全く気にしてない様子で。その事に不満を抱いてもそれを口に出すことはせず曖昧に誤魔化す。 その代わり、探すのは貸して欲しいと言われた銀色のアイテムだ。喫煙の頻度は以前に比べて、随分と減ってはきているものの、やはり完全に辞める事は難しい。そのため、日々手入れを欠かすこと無く使い続けている
「お? 終わったか」 給油が終わったのならば、このノズルはもう用済みだ。給油口からノズルを引き出しポンプへと戻している途中で出た欠伸。「クゥ、クゥ」 その間シェパードはというと、直ぐ傍に腰を下ろした状態で大人しくしている。どうやら思い切り撫でて貰うことを期待している様子。しかし、その期待にはどうやら応えてやることが出来無いだろう。「そろそろ行かねぇと」 日が落ちることで風の流れが変わり始める。 肌に触れる冷たさにより感じた寒気。両腕を抱えて身体を震わせると、待期していたシェパードの頭を軽く撫でてから別れを告げ、運転席へと乗り込んでしまう。「急ぐか」 キーを回し掛けたエンジンの音は思ったよりも大きかった。それに驚いたシェパードが尻尾を巻いて、急いで愛車から離れていく。バックミラー越しにその事に気づき、充分に距離が開いたことを確認してからブレーキに乗せていた足を離すと、静かにタイヤが転がり始める。制御を失ったゴムの輪が緩やかに前へと進んで行く。背後からは何かを訴えるように吠える犬の声が聞こえてきたが、その音も少しずつ小さくなっていくことだろう。「じゃあな」 犬がどれだけ必死に引き留めようとしていたとしても、車を止めて戻ることを選択はしない。 開けた窓から左手だけを出し、軽く振ってもう一度告げる別れ。もしかしたら、この犬とは二度と会うことは無いかもしれない。そんな相手の姿が視界から完全に消えてしまえば、後は愛しい妻が待つ家へと急ぐだけだ。 外を流れる景色を傍目に、続いていく一人きりのドライブ。それが終わるまでの時間はおおよそ、二十分程だろうか。 ふと、無音の状態が寂しく感じ適当に合わせる周波数。スピーカーを通して、最新のヒット曲を中心に選曲をすることで有名な番組が流れ始める。この番組は久し振りに聞くが、相変わらず司会者の軽快なトークは割と耳障りが良いと感じる。退屈が緩和したことで無意識に緩むのは強張っていたはずの表情である。そのうち、どこかで聞いた事のあるメロディが耳に届き、思わず鼻歌が零れてしまった。 耳に馴染む音は、随分と前に流行ったポップスをサンプリングしたものだろうか。ロック調に編曲されたベースラインに、聞いたことの無いボーカルの声。それにより全く新しい音楽となっていたものの、歌詞自体は依然と同じフレーズも含まれているようだ。さびの部
その日は、妻の誕生日だった。 季節のせいか、毎年この時期になると天気は不安定になってくる。 いつの間にか空に広がる灰色の薄曇り。日の光が遮られるせいで、辺りは暗く陰鬱とした雰囲気が漂うのも、この時期特有の光景である。 ただ、時折雲の隙間から差し込む光が静かに辺りを照らす様は実に幻想的で、やがて訪れる冬の気配を感じさせてくれる。 そろそろ、雪が降るのかも知れない。 そう考えると、この景色もそう悪いものでは無いように思え、自然と表情は柔らかくなった。 助手席には豪華な花束と大きさのある白い箱。 箱の中身は彼女の好きな雪のように真っ白いケーキで、これは彼女と付き合ってからずっと、変わらず買い続けている物だった。 過去に一度、「味に飽きないのか?」と尋ねたことはあるが、その時の彼女は不満そうに頬を膨らませながら、「一年に一度の特別なものなの! 飽きる訳ないでしょう」と分かりやすく拗ねてしまったのだ。 個人的にはこのケーキの味はとても甘く、私自身、少しだけ苦手だと感じる物ではあった。それでも、一年に一度だからという彼女の言葉に納得し、以降は彼女の喜ぶ顔を見るためにそのケーキを買い続けている。 その他に用意したのはシンプルなデザインのネックレスだ。 値が張るものではないし、デザインも在り来たりかも知れない。それでも、彼女に似合うと選んだものなので、気持ちだけは充分に篭もっているつもりだ。 いつかは高価なアクセサリーを贈ってあげたい。そんな小さな願いを叶えるためにも、日々の仕事を頑張っている。そんな当たり前な日常が割と気に入ってはいた。 いつもと同じ帰宅路。いつもより車の数が少ないのは、きっと天気が悪いせいだろう。 大通りを右折し暫く走ると、最寄りのガソリンスタンドが見えてくる。フューエルゲージの残量がそろそろゼロに近づきつつあるため、ウィンカーを入れ少しばかり寄り道をすることを決める。ガソリンを給油する時間なんてせいぜい十分にも満たないのだから、帰宅が多少遅れたところで文句は言われないだろう。 運転席のドアを開け鍵を持って外に出ると、財布から取り出したのは一枚のクレジットカードである。 機械を動かすためにカードを読ませたのに、どうやらカードリーダーの調子が悪いようで。エラーを吐き出されてしまったため、仕方なく店舗へ向かい手続きをして貰うこ